全力出し続けても65点が限界の能力

フェードアウトする決心がつかず、ひっそりとはてなブログに移行しました。

全然更新してはいないけれど、10年以上続けてきた自分なりの軌跡を
他の人(はてな)が設定したタイミングでやめるのは、自分に失礼だなと思っての選択です。

皆様は人生の転換期をどのように向き合って、どのように進んでいるんでしょうか。
いま、行くも地獄、戻るも地獄の状況で、精神的にキツい状態が続いている。
踏ん張ったところで、無情にも時間は過ぎていき、選択肢は減っていく。
そして、自分の気力も加齢とともに減っていく。
そろそろ終わりなのかもしれない。

思えばどこへ行っても、何もしてても、人並みのことができなかった。
世間一般の普通を手に入れようとしたら、人の2倍も3倍も努力しなければいけない、
って言葉の通り、自分で言うのもおかしいけれど、必死になって毎日を送ってきたつもりです。
元々も今も、質としては大したことはないけれど、自分としてあがけるだけあがいた結果、
現状、にっちもさっちもいかなくなっている。

考えすぎなのかもしれないし、悲観的になりすぎなのかもしれない。
さあ、どうしよう。

きっとそれを乗り越えていくことが人生、という結論に満場一致でなると思うので、
どこかで自分の答えを出そう、と思っている今日この頃です。

岐路

前回の日記から1年以上経ちました。
はてなダイアリーも3月で終了で、はてなブログに移行するか迷ってます。
こんなに更新せずに迷うも何もないけれど。
でも、戻ってくる場所があることは自分にとって大切で。
書きながらですけど、日記の書き方を忘れてしまっている。


もう誰もココを見てないと思うけれど、約10年前に書き始めた当初は、
自分が書いた文章が客観的にどう映るか、それを知りたかったのが大きかった。
今は誰もいなくなって文章に起こすような湧き上がってくるものもなくなった。
ココを残す意味がないのかもしれないと思い始めている。


感受性の豊かだった20代は辛い中でも世界は色付いていた。
今は色のない世界で終わりの見えない毎日を過ごしている。


昨日と今日と明日に変化のない世界。そして日に日に心身は蝕まれている。
自分の中でエネルギーが枯渇しているのが分かる。書くことが浮かばない。


あと2か月ゆっくり考えようと思います。
もしかしたら、これが最後になるかもしれないので、
先にご挨拶させて頂きます。
縁があれば、またどこかで別の形でお会いできるかと思います。
皆々様、ごきげんよう

最後に笑うのは自分のペースを保った人なのかもしれない

月日は流れて景色は変わった。
はてなに関しても、ページを開かなくなったし、存在も忘れかけていた。
書きたいこともなくなったし、
アンテナ登録している皆様のページも殆ど更新されていない模様。
気付いたら、日記に埋め込んだYoutubeはてな内で再生できなくなっていた。
きっと変わらないものなんてないのかもしれない。


先日、昔住んでいた街に久し振りに行ってみました。
当時の面影が消えていて、思い出までも街の中に溶けてしまいそうになった。
あの頃感じた思いも薄れていて、今の自分とは切り離されている感覚だった。
まるで他人の体験をなぞっているかのように。
きっと変わらないものなんてないのかもしれない。


進歩なのか退化なのかは別として、同じでいる事はできないのでしょう。
人は変わって、街も変わって、時代も変わっていく。
それでも、僕自身は相変わらず変われないままでいる。
でも、それにもうあまり焦りを感じなくなってきてしまった。
取り残されている、という捉え方でなくなってきてきている。
これは進歩なのだろうか、退化なのだろうか。よくわからない。
他の人はどうしているのだろうか。よくわからない。
知る必要もないのかもしれない。


自分は自分、とはこういうことなのだろうか。
僕は変われなかった現実を突きつけられて色々な事を諦めざるを得なくなった。
あとはそれを受け入れるだけ、という段階にいる。
そこに焦りや迷いは以前ほどは無い。
これは進歩でも退化でもなく、もしかしたら成長なのかもしれない。
変わりゆく状況の中で出てくる自分の反応、
それがどんなものであれ受け入れる事が、
生き延びていく唯一の手段なのかもしれない。
進む先が前であれ、そうでない場所であれ。


自分に向き合い始めてから約15年ぐらい経過しました。
まだこんな地点にいます。もういいオッサンです。
腹の括り方が足りないんでしょうね。
でもそれも自分です。焦らず力まず、自分として今日を生きていきたいです。


内容が内容だけに冒頭に持ってこれず、大変失礼致しましたが、
あけましておめでとうございます。皆様にとっていい一年になりますように。

君の人生は君だけのものだ

Rega/LAST LIVE 2017.5.5

失いたくないと握りしめてきたそれは、手の中で形を失くしていた。
失っても構わないと覚悟を決めて失ったことで、違う何かを手に入れた。


何かの形が残ることを気にして、そして失いたくないものを失った。
何が自分の手に残るかはきっと自分では決めれない。


自分にとって本当に大切なものはなんだろうか。
年を取るに連れて、時間をなくして感性をなくして健康をなくして、
それと引き換えに何かを得ようとするのは傲慢な考え方だとしても、
それでも守りたいものはなんだろうか。


人生は、旅と音楽と物語だと思う。


まだ知らないたくさんの景色に触れて、
まだ知らないたくさんの音楽を浴びて、
まだ知らないたくさんの物語に目を見開いていたい。


さよならを恐れず、自分にない何かに手を伸ばしていきたい。
その気力が湧かない時、そしてやがてそれすらできなくなる時、
いずれ平等に起きるそれに恐れずに。
今日できることが明日できなくなっているかもしれない。
今日を見過ごして永遠に手に届かない運命だとしたら、
それを全うしたらいいんじゃないかと。


きっと答えやヒントは目の前の世界に広がっている。
自分は、自身を見つめることだけじゃなくて、
目の前の世界と向き合うことで初めて見えてくる。


今自分が感じているその思い以外に正解はない。
サヨナラだけが人生だ。

きっと世界はそこに広がっている

ent「silver moment」

思えば遠くの方ばかり見てきた気がする。


いつもここより離れた場所に希望を求めて、ここじゃないどこかに思いを馳せていた。
進学の度により離れた場所を選び、そこで自分が変われるじゃないかと期待していた。
就職では東京に勤務地がある場所を選び、見事(?)東京配属が決まった。
だけど、ここじゃないどこか、その最果ての地とも言える場所でも、
僕はこれまでの自分を完全に脱皮することはできなかった。
遠くにある何かを求める生き方が行き詰まってしまった。
でも、それ以外の生き方を知らない僕は、白昼夢に浸る毎日を送っていた。
渇望して失望して、捕らえようのない何かを掴もうと必死だった。


どんなに経験を積んで知恵や処世術を得ても、三つ子の魂百までと言われるように、
本来の自分は変わることはなく、そして逃れようもなく、今ここに憑いてまわる。
そんな本来のどうしようもない自分から目を伏せても、塞ぎきることはできなかった。
きっとこの自分で生きていくと覚悟ができれば、
遠くに行かなくても状況は何も変わらなくても目に見える世界は変わるのかもしれない。
最近そう思うようになってきました。やっとそこに辿り着くようになりました。


何であの時ああ振る舞えなかったんだろう、どう思われちゃっただろう、
と思っても、それがその時にできる精一杯だったと思う。
後から振り返って次に生かす反省は大切だけど、
それで自分を責めるのは自分を否定しているだけで、何にもならない。
一体誰の目を気にしているんだろう。
誰かの称賛がないと立っていられないって、その誰かって無限にいるよね。
人の数だけ価値観がある中でその価値観全てに認められる事はどうしたって不可能。
だったらせめてたった一人、自分だけは自分自身のことを認められるように、
悪いところもダメなところも、変えられないところも譲れないところも、
今からでも一つずつ見つめ直して、再構築していこうと思います。
自分を変えるんじゃなくて、自分を知ってそれを受け入れるように。
うまく自分自身を操縦できるように。


この過程の果てには何も待っていないかもしれない。
もしかしたら悲しい事実を知るかもしれない。悲しい結末を迎えるかもしれない。
でもそんな日々を噛み締めて、痛みも哀しみも堪能できるようになっていきたい。


遠くは見つめるんじゃなくて、見据えるだけ。
その上で、いま目の前の一歩を大切に、しっかり味わうこと。
それがこの自己嫌悪に塗れた生活から前に進んでいくための唯一のことだと、
最近思いました。


早く梅雨明けてほしいですね。止まない雨はない。
そして、台風の季節ですね。悲しみは続く。
それでも、今年は夏が楽しみです。

きっとそこに意味はない

rega×高橋久美子(ex.チャットモンチー)「on the road」

ここ数日急に暖かくなってきましたね。
桜が咲いておかしくない気温でも、まだまだ咲くタイミングではないみたいですね。


桜を見るたびに何かが始まるような、駆り立てられる思いが湧いたのももう昔の話。
今はかつてないぐらいの行き詰まり感があって、身動きが取れない状態が続いている。
生きていくことは我慢の連続だとしても、それにしては息苦しさが尋常じゃない。
人を見て羨んだり、泡のように消える評価に固執したり、それも原因の一端だけれど、
奥底で感じている実際の自分をねじ曲げようとしてるのが一番の原因な気がしている。


本当の自分なんて、社会生活の中では全然重要じゃない。
でも、人生全般から見ると、本当に大事なのは今この瞬間感じている自分の本音。
それを表現する場や表現する程度は選ばないといけないけれど、
それから目を伏せて、こうあるべき、こうするべきに囚われてきて、
完全にいま自分を見失っています。
内容が間違っていても信念があれば、きっと人の心は折れない。
いまは、何を思ってどこへ向かっていきたいのか分からなくなってしまいました。


そんな状況で必要なのはきっと、色んな考え方に触れること。
いまの自分がどんなでもそれに恥じることなく、素直に表現して、
傷ついたり恥かいたりすると思うけど、そこで気付いて考えて自分を再構築してきたい。


何かを得ようとするから失うのが怖くなるんであって、
このままで生きていこう、手の届く範囲で考えながらその景色を味わっていこう、と思う。
どこに辿り着くとかの思考は置いておいて、
この一瞬を、その限りを味わえる人になりたい。
もうすぐ咲き始める桜も、いずれ散るんだからとか考えて咲いたりはしないはずだよね。
ただただ毎年その限りを精一杯咲かせようとしているだけで、
誰かが見に来るからとか、この人にこんな思いになってもらおうとか、
そんな雑念を持って咲かせてはいないだろうね。


何かが始まるとか、何も変わらないとかじゃなく、
今思う自分の気持ちに精一杯耳を傾けていきたいです。


今年も桜を見に行こう。

ぼんやりと浮かぶ道の向こう

BRAHMAN「霹靂」

今週のお題は「今年こそは」です。


これからも自分は変わっていくし、変わらないんだろう。


僕もそれなりに年齢を重ねて、物語になるような事は特にないけれど、
自分にとってはそれなりに色々あったし、それなりに積み重ねてきた気はしている。
様々あるなかで変わってきたこともあるし、変えざるをえなかったこともあった。
その一方で、どんなに変えようとしても変えることができず、今に至っていることもある。
いずれにしても、自分の思い描いたようには景色は流れていかなかったし、
逆に予想していない素晴らしい光景に巡り合えたりもした。
それをどのように捉え、これから先へ向かうにあたって、何を指針にしていこうか。。。



変えざるをえなかった場面で、
今までの自分を捨てたり、積み重ねたものを崩さなきゃいけない瞬間もあって、
得る代わりに、捨てたくない何を同時に捨てなきゃいけなくて、
形あるものと違って形ない感覚は一度捨てたら戻ってこないという恐れがあって、
それでも前へ進んでいかなきゃ行けない現実との狭間に苦悩して決断して、
それで生き延びてる自分に少しの自信と少しの失望を感じています。
あれもこれも手に入れることはできないですね。
何かを変えるには、前へ進むには、何かを捨てないといけないんだなあと。
きっとこの世からいなくなる時には、何も持っていないんだろうなって。
でも、そこに絶望は感じていないので、年取ったのかなあと思ったりしてます。


変えようとしても、自分という土台では望み通りにはなれないこともあって。
ああなりたいこうなりたいって夢想してても、
なりようがない現実からそろそろ逃げられなくなってきました。
でも、可能性が消えるって自分を知ることでもあって、
耐え難い現実だとしても、自分でそれを受け入れた時に少し楽になることを知りました。
夢っていうと子供じみた話になるけどそうじゃなくて、
あの人みたいになれない、同じことをしても同じようには受け取ってもらえないとか、
自分という素材がゆえのなれないことがどうしてもあって、
でも、そんな自分を少しずつ受け入れてみようと思えるようになりました。



人の目を気にして、変わろう変わろうと渇望して、変化が出てきたとしても、
大して人の評価は変わらない。
し、自分が何も変わらなくても、世間の価値観が変われば、評価が一気にひっくり返る。
具体的にひっくり返るような出来事が、いくつかありました。
自分にとっては事態が好転したけれども、
そんな吹けば飛ぶようなものに全神経を注いでいた自分自身に、少し冷めてきました。
もっと自分でできることを、すぐ手の届く範囲のことを大事にしていこうと思いました。


失ったらどうしようっていうのは、それを本当に大事にしているわけじゃないし、
失ったらどうしようって得てる前提だけど、そもそも人の思いなんてアテにならない。
寄りかかるものが欲しいなら、もっと自分自身に寄りかかったらいいと思う。
自分の思いに忠実に。それが例え何かを失うものだとしても。
いや、何かを失う可能性があるものほど、自分の思いに忠実な何かだと思う。
全てを手に入れることはできない。
道標は瞬きする間に変化するような他人の価値観じゃなくて、湧き上がる自分の思い。
たとえ自分の思いが不安定だっていいと思う。
自分が安定してるにこしたことはないけど、どんな人にもそうじゃない時はある。
自分自身の不安定に、自分の身を委ねられるようになりたい。
死ぬまで自分と付き合うのは、自分だけだからね。
今年こそは、自分の人生を生きれるようになりたい。


そうしてきっと、これかも少しずつ変わっていくんだろう。望む望まないに関わらず。
けど、本質はきっと変わらない。それで、いいんだと思う。